8月は平和をより願う月

8月は平和をより願う月にしております。戦争反対です。

戦争をテーマのテレビ番組や映画を見るように、親から話を聞くようにもしております。父は釜石で艦砲射撃にあい、母の一族は樺太からの引き上げ者、多くを語った事がありませんでした。尋ねると、ポツリポツリとでも淡々と話します。テレビ番組の中でも、90歳前後の方達の今だから話せるといった状況に胸打たれます。

20代にイギリスのケンブリッチ市に短期留学していた時、プラリと夜散歩に出かけたら、川の畔で人々が灯籠流しをしていて、私ともう一人の日本人のその灯篭を持った写真が地元紙に掲載されました。その時、私達は、大変不覚にもその日が8月6日でヒロシマを祈っていたとは全然分からず、後から聞いて、恥ずかしい気持ちで一杯になりました。その後、フランス留学、同じクラスのユダヤ人がアウシュビッツを訪ねる旅を企画しましたが、参加者は私一人で、中止になりました。団塊の世代の次世代の私達には、戦争は遠い国のような感じでした。

一番上の写真のバティックはカイン・ホコカイ(ジャワ奉公会の布)で、日本軍がインドネシア侵攻の数年間にバティック工房と友禅染めの職人との共同で創作された一枚、ビンハウス所蔵の布です。これは日本軍からの報償の布として、有利な情報をもたらしたインドネシア人に与えられました。その影響で、桜、扇、蝶々、牡丹がバティックに登場するようになります。

2つの国の純粋な職人達の傑作、平和を願う布、2度と戦争の道具にして欲しく無い想いが込められていると思います。

昨日はインドネシアの独立記念日、日本軍の協力もあり、オランダから独立しました。ビンのママは、良い軍人と悪い軍人がいたと話していました。インカのママは軍人に教えられたという”なかよし小道”の歌を3番まで歌ってくれました。私は、”ランドセル背負ってミヨちゃん”の部分しか知らなかった童謡でした。

その時代の中で生きるしかなかった方達は、辛い過去を一時の幸せで封印したかのようです。皆なかよしになれると信じてます。No more wars